夜の闇

口癖はしごとやめたい

失敗恐怖症 まとめた

どうも、今日もなんら変わりない1日を過ごしたよ。私です。
さて、もう今夜も終わりそうですが急いでまとめますぞ。寝たい。
 
前々回から伸ばしに伸ばした失敗恐怖症について。調べつつ書きます。
 
以下wiki先生より。
恐怖症の一種。自分が何かに失敗、もしくは敗北する可能性に対して極度の恐怖を感じる症状を指す。敗北恐怖症とも。
失敗恐怖症患者は自分がリスクを伴う行動、または伴うと判断した行動を行おうとすることに対して極度に反発・抵抗してしまう。これは、失敗したときに結果として残る恥ずかしさと屈辱をなんとかして避けたいためである。そのため、成功の可能性が100%だと判断した行動しか実行できない。また、自尊心も強く、完璧主義が併合していることが多い。
発症原因としてよく見られるのが、子供の頃に失敗した際に莫大な恥や屈辱を周りの人から受け、それがトラウマとなり、一生「挑戦」することが出来なくなる、といったものである。

wiki先生さすが。その通りなのだ。失敗したら恥ずかしい思いをするだろう、でも避けたら恥ずかしくない!という短絡的な考えをしてしまう。だから一歩を踏み出せない。

私も子供の頃のトラウマが原因だとは思うけれど、それがどれだか分からない。こんなに恥ずかしいと思うのだから、きっとそれ相応のトラウマがあるのだろうけれど自分ではよく分からないというのが実情。

まあでも、今の職場、失敗したら笑われたり蔑まれたりが常だからほんとその、なんというか。

 

失敗をものともしない人ってすごいよね。思ったことを言える人。尊敬するけれど、けれど、なにぶんそれって口が悪いともとれる。敵に回してはいけない人。今更になってそんなキャラ設定に気付いたところで、敵になってるんだからどうしようもないんだ。

そう、だからキャラ設定って初めのうちに掴んでおくことが肝心だと思う。

 

続いてTABILABOさんより

 失敗したら、まず素直にそれを認めて責任をとることが必要です。つらく苦しいことですが、たくさんのことを学べる機会でもあるのです。
失敗によって出た損失や、どうして失敗したかを細かく分析してみてください。もしかしたら意外な原因が見つかるかもしれません。失敗を見つめ直すことは、あなたを強く、自分に正直に、そして謙虚な気持ちにさせてくれます。
自分には向いていないものを見極めるのに多くの時間を費やさねばならないのです。
初めて就いた仕事にしがみついているなら、自分のすべきことをしていない確率は99%。もしかしたら、1億分の1の確率でラッキーな人もいるかしれないけど、ほとんどの人々は試行錯誤するはずですし、その必要があるのです。
自分のやりたいことを見極めるというよりも、むしろ、この世界にはどんなものがあるかを見極め、それをどうやって自分のものにしていくのかということが大切。
人間が食物連鎖の頂点に達した理由は、この先何が起こるかを正確に予測できたから。他のどの生き物よりも、因果関係を理解することで主導権を握ってきたのです。でも、このスキルを身につけるには時間がかかるもの。生まれた瞬間から、死ぬときまで周りを注意深く観察をすることでしか学べません。
観察したり、計算することの大切さというのは、忘れて失敗してしまいがち。迷信や願望に頼ってしまう人も多くいます。私たちは子供の頃、もっと周りの観察をしていたはずでしょう。
でも、その失敗を通して常に新しく観察すべきものや、新しく計算することがあると理解して、さらに先の人生に進むことができるようになるのです。

謙虚って私と対になる言葉だと思う。

私は私のことをわがままな子供だと思っている。常に周りが助けてくれると思ってる。でも、社会に出てみて違うことに気付いた。私は今まで助けてくれた大人と同じ立場にいる。同じ立場の人間を助けるか?子供は可愛くても、子供の振りをしている大人は可愛くない。ああ~分からん。世間が私に優しくないではなくて、私が世間に優しさを求めているだけ。一方的に絶対的な愛を求めて、私はそれを受け取る権利があると思っている。大人って何だろう。大人ってそんなにすごいか?私は全くすごくない。でも、すごくないからって子供ではないんだなあ。すごくない大人もいるんだぞお。

 

なあ、失敗を小さく見ていないか?失敗の規模を大きくして、この職場を選んだことを失敗ととらえたことはないのか?どこからが失敗で、どこまでは成功だったのか。人生とは失敗と成功を繰り返すもの。ずっと失敗することもなく、ずっと成功することもない。つまり私が今、選択しているものを失敗ととらえるならば、どこかに成功も転がっていることになる。なるほどな(?)

 

私はなるべく楽して生きたいと考えている。だからこそこの職種を選んだし、職場を選んだ。なのにどうして楽じゃないんだろうといつも考えている。きっとそれは先を見据えていなかったからなんだろう。数年後の自分を見ていないから。今の自分しか見えていないから。私はいつだってそうだ。今の自分が一番楽しいことを第一に考えて行動している。だから、数年後の自分も、今楽しいと思っていることを楽しいと思うはずだって考えている。

でも、学生の頃気になって買った本はもう好きじゃなくて積読になってるし、よく聞く曲も変わった。携帯はスマホに変わったし、友達とは連絡していない。他にもたくさん価値観が変わった。未来、例えば25歳になった私は何を楽しいと思うだろうか。果たして今の私が楽しいと思う事を、楽しいと思っているだろうか。

失敗したくないと思う気持ちは変わらなくても、いろんなトラウマは消えなくても、環境は変わってゆく。特に好きなものは月日の流れと共に変わってゆく。

好きな人を嫌いになることはないし、嫌いな人のことを好きになることもない。でも、過去形になることはあると思う。あの頃好きだった。あの頃苦手だった。長く見て、10年後もまだその人を嫌いでいるのか?それほど強い気持ちがあるのか?ないな。

私は今、嫌いな人がいる。でもそれは今の話。5年後10年後も嫌いだろうかと問われたら、多分苦手だった…くらいにはなりそう。現に学生の頃嫌いだった人とかは今でいうと苦手かな?先生は……まあ思いだしたくないけど恨んだり憎んだりといった強い感情は持っていない。一生会わないならいいや。

つまりは。今嫌いな人はそれ以上にはならないということ。あくまで私の場合だけど。殺したいほど憎い、なんていう感情はちょっと分からないけれどそれはすごい例外だと思う。

 

まあそんなところです。気晴らしにサークルや運動とか初めてみたいな。他にも休日1日を使って電車乗りまくるとか。海に行ってさざ波を聞くとか。

大きな夢だと国内旅行や海外旅行。どっか行ってみたいな。英語は話せないけど。